浄土真宗本願寺派 西恩寺

浄土真宗豆知識

お仏壇に毎日お水を供えています?

   浄土真宗ではお仏壇に、茶器やコップに水やお茶を入れて供える事は、しません。「仏様が、のどが渇かれるでしょう?」と心配される方がおられるかもしれませんが、大丈夫です。お浄土には「八功徳水」(はっくどくすい)という有り難い水がふんだんにありますので、のどが渇くことはありません。
   以前葬儀の後、火葬場から自宅に帰ってきたら、遺族が「水、水」と慌ててコップ一杯の水を、遺骨の前に置かれて「熱かったやろう」と言われておられましたが、生身の身体を焼いた訳ではありませんし、阿弥陀如来と同じ仏様になられたわけですから、熱かったとかのどが渇いたと言うことではありません。
   お仏壇の中に華瓶(けびょう)という仏具がありますので、その華瓶に水を入れ、樒(しきみ)か、青木を挿して下さい。(華瓶には色花は用いません)樒は香木ですから、香水として供えるのです。華瓶がなければ供えなくても結構です。もう一つ大切なお供え物としてお仏飯(ぶっぱん)があります。朝ご飯を炊かれましたら、出来上がりのご飯を仏飯器(ぶっぱんき)に蓮のつぼみのように、盛って、ご本尊前の上卓(うわじょく)か、仏飯台に置いて供えて下さい。
   朝、お供えしたお仏飯は、午前中に下げて頂いて下さい。必ずしも朝ご飯を炊かれない方もおられるでしょうから、その方は炊かれた時に真っ先にお仏飯として供えるよう心がけて下さい。(2005年8月11日)

浄土真宗では用いない用語

   浄土真宗の教えのうえから、ふさわしくない言葉があります。法事の場で挨拶をされる時、弔電を打つ時、弔辞を述べる時などは、気を付けて下さい。
   言葉というものはある意味で生き物のようなもので、本来の意味と違う意味合いを持ち、違う使われ方をされていることがあります。中には見過ごすことの出来ない場合もありますので、各々が心がけて頂くことも大切かと思いここに掲載します。(2005年7月28日)

  ふさわしくない言葉        浄土真宗の用語
◇ 天  国       →→→  お浄土・極楽浄土・み仏の国
◇ 草葉の陰で      →→→  お浄土で
◇ 永眠する       →→→  往生する・お浄土へ還る
◇ 御霊前・みたま    →→→  ご 仏 前
◇ 祈  る       →→→  願う・念ずる
◇ 冥福を祈る      →→→  哀悼の意を表する
◇ 安らかにお眠り下さい →→→  お浄土から見守っていて下さい

無財の七施

   布施と言いますと直ぐに金品や財産を出すことと思っておられる方が、多いようですが、 「無財の七施」という布施もあります。

1. 眼施(げんせ)         人に対し、やさしい眼差しで接すること。
2. 和顔施(わげんせ)       柔和な顔で接すること。
3. 言辞施(ごんじせ)       やさしい言葉で接する。
4. 身施(しんせ)         自分自身を正し、身体で、尽くす。
5. 心施(しんせ)         思いやりの心を持って相手に接する。
6. 床座施(しょうざせ)      相手に席をゆずったり、立場をゆずること。
7. 房舎施(ぼうしゃせ)      場所をあたえ、あたたかく迎える。

   このように、施す財が無くても、私の心の持ち方一つで、すぐに出来る布施もあるわけです。自分さえ良ければ人はどうでもいいという狭い考え方を捨てて、一人でも多くの人々が、仏法に耳を傾け、日々「無財の七施」を実行して行けば、素晴らしい人間関係が出来、又素晴らしい国や世界になることでしょう。(2005年7月5日)

お盆の心得

◆浄土真宗では、精霊棚は用いません。
従って、キュウリやナスビの人形も必要ありません。(亡き人は虫になられた訳ではありませんから)

◆お仏壇の掃除をして、お仏飯・お花・お菓子・果物等を供え、お盆という仏教行事を縁として、先だって逝かれた方を偲びながら、自分自身が、仏法に耳を傾けていくことが、大切です。

◆私たちが手を合わせている阿弥陀如来という仏様は、365日の内の3日間しか帰ってこないような仏様ではありません。何時でもどこでも、どんな時でも、この私を照らし、導き、育てていて下さる、そんな仏様です・・・・・・・そうです、迎え火も送り火も、焚く必要がない訳です。消えることのない仏法の光を、心に灯すべく、お盆を迎えて下さい。

◆「こちらでは、お盆は7月ですか8月ですか?」と、よく尋ねられますが「どちらでも結構です」とお答えしております。地域性ということもありますが、お盆に関しましては、それぞれのご家庭で好きな方を 選ばれれば、よろしいかとおもいます。  (2005年6月27日 )

四十九日が三月(ミツキ)にまたがると良くない」って誰が言ったの?

   葬儀を終えて次の大切な法事が49日法要です。
ところが日本人は迷信が好きな人種というか、 語呂合わせが上手というか・・・?

「住職49日の日程ですが、三月(ミツキ)にまたがると良くないと聞きましたが」 「誰が言われたのですか?」と聞きますと「周りのものが」 「何故いけないのですか?」「さー???」
   だいたい月の後半に、お亡くなりになりますと、必然的に三ヶ月にまたがるわけで、たとえば今月ですと6月14日以降の方は、皆さん49日は暦の上で言いますと8月になりますので、三月(ミツキ)にまたがることになります。
それでは、その方たちの四十九日法要は、皆7月中にされると言うことになりますと「困りますナー」

   それでは何故それがいけないことなのか? 「始終(シジュウ)苦(ク)が、身(ミ)に付く(ツク)」「しじゅう く が みつく」最後の「みつく」は、「みつき」の方が語呂は良いのでしょうが・・・「なんじゃそりゃー」その迷信通りにすれば、すべての苦しみが無くなるのであれば、是非お薦めしますが、あり得ないでしょ。「いい加減にしてヨ」
   それでなくても、大切な人を亡くして、悲しんでいる人に対して、 もうそんなことを言うのはやめましょう!!                                       (2005年6月26日)

「お浄土」と「天国」は違います

   時々気になる言葉で、「お浄土」と「天国」を同じように考えておられる方があるようですが、ハッキリと区別して頂きたいものです。仏教であれば「お浄土」か、「極楽浄土」が、ふさわしい表現です。 キリスト教の場合「天国」ということになります。  
   ある大きな仏式のご葬儀の時、立派な肩書きを持った方が、おもむろに弔辞を読まれ、 最後に「○○君、安らかに天国でお休みください!」と、結ばれたとたん、見識のなさに愕然とします。  いくら宗教に関心がないとはいえ、一般常識として仏式の場所で「天国」はないでしょうと、言いたくなります。せめて「○○さん、お浄土から見守っていてください。」ぐらいおっしゃって下されば、有り難く拝聴できます。
「社長さん、よろしくお願いしますヨ。」  (2005年6月17日)

釘打ちの儀なんて、元々ないでしょ

   葬儀を終えて、棺の中にお花を入れ、いよいよ棺のふたを閉じたら、すかさず「当家の御宗旨浄土真宗では 釘打ちの儀はございませんから、皆様で棺のふたに手を添えられて静かに閉じて下さい。」と、まことしやかに 促されますが、元来「釘打ちの儀式」なんて、どこの宗派に聞いても無いでしょう。
   昨今勝手に作り上げられたものでしょう。 そのうち「蓋締めの儀」なんていうことにも成りかねません。あまり堅苦しくしないで、 さりげなく行きましょう。 強いて考えれば、せいぜい一昔前、でこぼこ道を荷車にでも乗せて、棺桶を運ぶ時ふたがはずれて、遺体が飛び出してきたら大変だから、釘で留めるか縄で縛ったぐらいのことでしょう。                                   (2005年6月17日)

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